プロフィール

人間から出てくるものって、果たしてその人のことを明確に表してくれるのでしょうか?

例えば、ある人から出る『言葉』『行動』『表情』『癖』『習慣』『思想』『意見』『雰囲気』、最近なら『SNSでの発信』など...

それらの物事が全てそれを出した人の真の姿を表すとは限りませんよね。人間は簡単に嘘も尽くし、誤魔化すし、カッコつけたり、考え方だって色々変化するし。もちろん、それらをひっくるめてその人のパーソナリティだったりする訳ですが...

だから、もし人と交流する時には『この人ホントはどう思ってるんだろう』なんて、あまり考えても仕方ないのでしょうね。そんなことを考え始めたらキリがなくて、人との交流なんて出来なくなっちゃいますから。


私は、物心ついたころから頭の中は『不安』の二文字でいっぱいでした。

様々なことに対して不安を抱いていて、小さい頃はそれがもっぱら『母親が死んだらどうしよ~』とか『給食で嫌いなものが出たらどうしよ~』とか、子供らしいことだったのですが...

それが成長するにつれ、

『この人ホントは(私のこと)どう思ってるんだろう』

という不安が異常に大きくなっていったんです。

無邪気に友達と遊べる子供時代を過ぎ、すぐに解決する不安で済んでいた時代を過ぎた時点で、今度は、交流する全ての人に対し、その相手の考えていることが気になって仕方なくなってしまったんです。

そんな私が、不安に対応するためにいつの間にか身に付けた術は2つ。

1、人付き合いをなるべく避ける。

2、相手から出されるもの(サイン)を一所懸命に観察する。



1に関しては、もう逃げですね。分かってはいるんですが、「初めまして」のお付き合いは極力避けるようになりました。

2に関しては、気になって気になってそうせざるを得ないという感じですが、いつの頃からか『人を観察する事』がある意味自分の才能だろうと開き直るようになりました。

相手からしたら、スゴク迷惑で嫌な才能ですよね...

もちろん、ただ一所懸命に観察をするだけでは終わりません。

そもそも観察する理由が、『相手が自分に拒否反応を示した瞬間を見逃さない為』という、恐ろしくネガティブな理由ですから。もう思い込みだろうが何だろうが、勝手に拒否反応と決めつけて探し出してしまう訳です。

そして無理矢理見つけた拒否反応を掲げて、鬼の首を取ったようにこう思うんです。

『やっぱりこの人は自分のことを嫌っているぞ~!』

常に疑心暗鬼。これじゃあ、好かれるものも好かれませんよね。

さらに悪いのは、ほぼ勝手に獲得した拒否反応を元に、思考が始まるんです。

『なんであの時、拒否されたんだろうか?』

勝手に見つけた、実際には本当にそうなのかすらも不明な拒否反応で、一日中そのことが頭から離れないほど、夜も眠れなくなるほど、またその相手と会うことを考えると異常に気が重くなるほど、考えちゃうんです。

THE ネガティブ思考

我ながら、よくもまぁそんな非生産的なことをそこまで真剣に思考できるなと思います。

ただ、ネガティブ思考はそれが生産的だろうが非生産的だろうが、変わらずひたすら動き続けてしまいす。暴走列車のように。それは、自分ではほぼ操作不能の暴走振りです...

じゃあ、その思考が止まるのっていつなのか?暴走列車が止まることの出来る停留所はどこにあるのか?

そんな非生産的な思考は、なんとか止まってもらいたい...

恐らくですね、私のネガティブ思考が止まるのは以下の2つの時だけだと思います。

1、次のネガティブ思考が始まった時

2、答えが見つかった時


1は、思考が止まったとは言えませんね。また新たに始まっただけ。

2は、確かにネガティブな思考は止まります。ようやく、例えば『あの時に嫌われた理由』の答えが見つかるわけですから。

ただ、少しだけポジティブっぽくなっただけで、結局今度はその『答え』に対しての対応策を思考する時間が始まります。

『それなら、あの時どうすれば良かったのか?』

『で、次はどうするべきなのか?』

脳内に張り巡らされた線路の上を、『思考』という暴走列車がまた走り出しました。

そして、次に止まることの出来る停留所は1つだけ。そこが見付からなければ、ず~っと暴走し続けます。

それは、アイディア、工夫が思い付いた時

『そうか!こうすればイイんだ!』

ここでようやく、暴走していた思考は一旦停車します。ただ...

まだ終点ではありません。

ここからは、思考の暴走は無いのですが、極めて冷静にそのアイディア、工夫を頭の中で咀嚼し試す期間があります。

そう、そのアイディア、工夫を様々なシチュエーションの中で試していくんです。頭の中で。

それでもし、『このアイディアはダメかもしれない』と思ったら...

改良を加えます

私は、自分から絞り出したアイディアは、ダメだと思っても直ぐには諦めません。それを元に改良を重ね、どうにか使える形に持っていくという作業を、頭の中で行っていき、次の時に備えるんです。

じゃあ、その頑張って思い付き改良して完成させたアイディアを頭から取り出して実際に行動に移して使うことはあるのか、次に人と交流する際にそのアイディアは生かされるのかというと...

残念ながら、そんなことは滅多にないわけです。

所詮、人間から出るものなんて、その人の全てを正確に表すことはできません。

それは、どんなに思考し改良を重ねたとしても、私から出るものも同じです。頭で考えていた様には、上手く外に出すことはできず、本当の自分を見てもらうことは出来ないでしょう。

仮に頑張って行動に移しても、それによってまた拒否反応を示されたら...精神的なダメージが大きすぎます。

それだったら、どんな良いアイディアでも私の頭の中だけに仕舞って置きます。それはまるで非常食のように、その内消費期限が切れて使い物にならなくなり忘れ去られるでしょうけど。

だから私は、自分を表現するということが非常に苦手なんです。

そしてまた、人付き合いを避けていく。


こうやって改めて自分の頭の中を文字に起こすと、何だかホントに、生き方が下手だなって思います。


実際、高校を卒業した後、東京の音楽専門学校に入学してしばらくしてから、この自分の性格が本領を発揮していきました。実家にいた時には気が付きませんでしたが、やはりこんな性格でもやっていけるようには、親によって庇護されていたんですよね。

親元から離れると、『嫌なものからは逃げる』ということを繰り返すようになりました。

東京での生活は、考えても考えても終点まで行きつかない、初めて経験するような問題が多かったんですね。

私の『嫌なものからは逃げる』という行動が、親や家族はもちろん、多くの方にたくさんご迷惑を掛けてしまったんです。

結局、東京でギターリストになるという目標も諦め、正に逃げるように実家に帰ったのが23歳の時です。

その後、地元でアルバイトをしながらバンド活動などをしてダラダラと生活していましたが、あることをキカッケに少し流れが変わりました。

知的障害者の通う障害者支援施設で働いたことです。

そこに就職が決まり始めて仕事をした日の帰り道、車を運転しながら号泣しました。

自分でもよく分からない涙でした。それから、その施設での仕事にのめり込んでいきました。

この頃から気が付き始めたのは、『自分は教えることが好きだ』ということ。

相手が分からないことや出来ないことが、私のちょっとした手助けで分かったり出来たりすることが、この上なく楽しいということに気が付いたんですね。

思い返せば、小中学校時代、専門学校時代、アルバイト時代、確かに教えるということで感謝されたり褒められたりしたことが幾度かありました。でも自分は、そもそも、人に何かを教えられるような立場の人間ではないと思っていましたので...

教えることの専門家になろうとは思いませんでした。


私は、男ばかり3人兄弟の次男です。それが、THEネガティブ思考のこの性格に関係あるのかは全く分かりませんが。妻と結婚して婿入りすることに関しては、若干、関係がありました。

まぁ、次男だし他に2人兄弟がいるから婿でもいいか~って。

今の妻と結婚をし、名字が変わり、それはそれは強そうな名前になりました。完全な名前負けです。

2000年10月、息子が生まれました。

最初の内は、自分なんかが父親だなんて全く信じられず、自覚も無かったのですが...息子が2歳になるころには、

『この子とずっと一緒にいたい!』

単純に、至極自然に、そう思うようになりました。

ただ、仕事や妻の家族との同居や...息子とずっと一緒にいたいという気持ちとは裏腹に、それができない、させてくれない現実がいくつもありました。

ここにきて、久しぶりの『嫌なものからは逃げる』発動です。

全てを置いて、死ぬほど一緒にいたいと思った息子さえも置いて、

逃げました

もう結婚生活も、息子との暮らしも終わりを覚悟しましたが、思いもよらないことが起きました。


妻が息子を連れて私を追いかけてきてくれたんです



私が一生を終える時に人生を振り返り、『最も重要なターニングポイントはどこだったか?』と考えた時、間違いなく妻が来てくれたこの時、2003年のこの日を思い出すでしょう。

この時から私は、専業主夫として第二の人生と言っても過言ではない新たな生活を送り始め、徐々に徐々に歯車が良い方向に回転し始めていきました。

妻は短大卒業後ずっとフルタイムで働いていましたので、私が家庭に入り、家事と育児を主にしていくことに決めたんです。

一人暮らしや飲食店のバイトなどの経験がありますから、家事の方はまぁ何とか最低限のことは出来ましたが...

問題は育児ですね。

2003年頃は、まだ主夫やイクメンなんて言葉も浸透していませんから、『男が家にいる』というだけで身内の目や周りの目が気になってしまい、結構精神的にキツかったのですが。

ただそれよりももっと精神を不安定にさせたのは...

息子が健やかに育つのだろうか?

という不安。いや、もっと正直に言うのなら...

『世界中の全ての人が私のことを嫌っても、この子だけは私のことを好きでいてもらいたい』

当時は、周りには味方がほぼいないと思っていましたので、そんな切実な思いで息子と接していました。

この大きな不安を払拭するために、私はあることをしました。それは、冒頭からお話ししてきましたように、

『この人ホントは(私のこと)どう思ってるんだろう』

という不安を解決するための、私の最も得意とする一連の作業です。

つまりこの時、『この人』が『息子』に代わったんですね。


『息子よ、ホントはお前父ちゃんのことどう思っているんだ?』



それを解明するために、まず始めに行うのが

徹底した
観察(横)

もちろん、息子の一挙手一投足を、あまり悟られることなく(←ここ大事)観察します。また、育児のための情報を、インターネットや本などでインプットするのも大切な観察の1つと考え、たくさんたくさん情報をインプットしました。

観察をたくさんすると、自然と次のことが出来るようになります。

深い
思考(横)

これは、私のTHEネガティブ思考な性格もありますが、この頃は多分、大袈裟ではなく24時間365日、ずっと育児と息子のことについて考えていました(今は全然ですが...)。

ここまで思考していると、ある時にフッと浮かぶものがあります...

突然の
工夫(横)

アイディアと言っても良いでしょう。これが、なんの前触れもなく頭に浮かぶんですね。育児や息子に対する疑問が溶けて、『そうか!こうすればイイんだ!』という上手い方法、良いアイディアが浮かぶんですね。

これは、観察と思考に相当の時間を費やしたからこそです。

ただこの工夫も、全てが上手くいくとは限りません。そんな時は...

謙虚に
改良(横)

します。そしてまた、最初の手順、観察にもどっていくわけです。

こうして一連の作業を繰り返し繰り返し行うことで、不安を抱えながらもなんとか育児をすることが出来ています。

親が言うのもなんですが、息子も、素直で思いやりのある人間に育っていると思います。

そしてそのことは、私の中で自信に繋がっていったんですね。


私は、物心ついたころから頭の中は『不安』の二文字でいっぱいでした。

それにより自然に身に付けた自分なりの思考パターン、専業主夫になり育児をする前までは、それが嫌で嫌で仕方ありませんでした。

自分は何でこんなことで頭がイッパイになっちゃうんだろう...

今までは、他のことが手に付かないほど考えてしまうことに価値を見出せないでいました。

つまり、自己を肯定することが出来なかったんです。

それが、他のことが手に付かないほど考えるべきものができた時、バチっと私の思考パターンがそこにハマったんです。

それに加え、これも自然に身に付いた教えることのスキルが、その為に身に付いたかのように子育てに役に立ちました。


2003年、妻が息子を連れて追いかけて来てくれたことをキッカケに、これまで私の短所だったもの、役に立たないと思っていたスキルが、『なぜ私に備わっていたのか』、分かったんです。


2007年3月、子供が成長する環境を考え、今の田舎に越して来ました。

その年の12月、待望の娘が生まれました。生後三ヶ月から私一人での育児が始まり大変な時もありましたが、妻と息子に助けられ、娘も元気に、本当に元気に育っています。

娘が幼稚園に入園してから、そろそろ私も仕事を見付けないとな~と、軽い気持ちで思い始めました。

冷静に考えた時、私が持っているスキルなんて『教えること』と専門学校で勉強しずっと趣味でやっている『ギター』ぐらいです。

どちらも、単体では仕事にならない程度のスキルでしたが。やっぱり思考すると良いアイディアが思い付きますね。

『教えること』と『ギター』を組み合わせてみてはどうだろう!

2012年、自宅でギター教室を開業しました。

自宅で出来る仕事は、主夫にとっては非常に有難いです。子供と離れることなく仕事が出来ますので、私も子供たちも安心していられますからね。

そしてギター教室でも、やはり持ち前のTHEネガティブ思考がさく裂します!

もう常に『生徒さん、私のレッスンが嫌じゃないかな~』で頭がいっぱい。

さてそうなった時、この記事をここまで頑張ってお読みいただいた方なら、私がどういう一連の作業を行ったかお分かりですね。

そう、


徹底した
観察(横)
深い
思考(横)
突然の
工夫(横)
謙虚に
改良(横)


この一連の作業のお蔭で、多くの生徒さんにギターで演奏するというこの上ない楽しみを体験して頂くことが出来たのではないかと自負しておりますが...

さらにこの作業のお蔭で、サプライズがあったんです。

そう...


よなおしギターの開発


です。

正に、青天のヘキレキが如くのアイディアの襲来から、特許や商標の取得、試作品の製作からメーカーによる製造、そして協会発足と企業との契約と、全てのステップアップの中で、上記の4つの作業パターンを一貫して行ってきました。

よなおしギターは、まだまだこれからの事業です。

ただ、この楽器は近い将来、必ず全国的に認知され、必要とされる楽器となります。

そうなるまでに、これからもたくさんたくさん問題が生じるでしょう。

それでも私がやることは、今まで通りこれからもたったの4つだけです。

『観察』『思考』『工夫』『改良』


それと、家族を大切にすること。


人間から出てくるものって、果たしてその人のことを明確に表してくれるのでしょうか?

今だったらこう思えます。

人間から出てくるものがその人の全てを明確に表すとは限らないけれど、その人が歩み育んできた1つ1つの個性や経験を全て上手く繋げて出すことが出来れば、世の中さえ変えられるものが生まれるかもしれません。

何故なら、そうやって人から出てきたものは、その人にしか絶対に出せない唯一無二の、この世界に1つしか存在しない貴重なものだから。



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